朝にみえたもの

朝のテレビ番組をみた。女子アナウンサーが憂うつになるようなキラキラした声で「今日も一日頑張りましょう!」と言った。やめてくれよと思う。


駅の改札口では駅員さんが「おはようございます」と言い、それを人々は店のBGMみたいに聞き流して通り過ぎる。

黒いコートやスーツの人々が背中を丸く縮めて歩いている情景は不気味だ。みんなゾンビみたい。駅員さんはどんな気持ちで毎日おはようございますを言うのだろうと考える。少し寂しくなる。


特に落ちはないのだけれど、なんとなく書いてみただけ。ツイッターで暗いこと言ってるとみんなに伝染するからよくない。



1月11日

冬だからスープをたくさん作りたい。昨日はお味噌汁で今日は母親に教えてもらったコンソメスープを作った。

洗濯機から服を取り出して、CDプレイヤーの電源をつける。木の椅子に座る。降りる。畳の上で正座して服をハンガーにかけていく。

家事は楽しい。



人がコーヒーを淹れているところを見るのが好き。ポットの持ち方、傾け方、ドリップなら何秒蒸らすか、蒸らしている時間どのように過ごしているか(心の中で数えるのか 声に出して数えるのか 数えないのか)、カップを机に置くときどんな風に置くか。これは性癖なのかもしれない。好きだと思った人がどんな風にコーヒーを淹れるのか見てみたいって思う。


今日も寒かったね。

元旦

海で初日の出を見た。

海のキラキラと、薄い桃色の山と、深い青色と、水面に反射した道みたいな太陽の光が美しいと思った。死ぬならあの海の底に沈んで、宇宙の一部になりたい。

太陽が見えてくるまでの40分間、ずっと海と空を見ていた。


おじいちゃんの家に戻ると、おじいちゃんが桃色のエプロンをつけて掃除していた。あのエプロンは2年前に亡くなったおばあちゃんのもの。あんな風に人を愛せるのは素敵だなと思う。




12月さようなら。新しい年おめでとう。好きな人たちが、猫のお腹みたいにあったかい1年を過ごせたらいいな。

最後の水曜日

今朝は空も矢印の木も美しいと思った。

命の気配が感じられない、白い朝だった。

 


日めくりカレンダーも残り数枚で終わる。

今年は新しいことを2つ始めた。向き不向きがあり報われないことや結果に繋がらないことがあるにしろ、何かを頑張ることは素敵でとてもえらいことだと思いたい。



今日は平成29年最後の水曜日でした。

明日は平成29年最後の木曜日です。これを読んでくれている人(いないかもしれないけど)が穏やかに生きられますように

家から見える背の高い木は矢印型をしている。矛先は空。

夏は鮮やかな緑色だから死んだらきっと天国へ行ける

秋は真っ赤になるから地獄へおちる

冬は、色を失い静かにひっそりとしているので「そこにいていいよ」と言われているような そんな感じがする。


冬と春の間の木はまだ見たことがないから、それも楽しみにしながら冬を過ごそうと思う。

大丈夫

昨日、久しぶりに家族で出かけて実家に泊まった。

実家では大好きな映画のDVDをみんなに観せて私が1人で騒いだり、妹とゲームをしたり、母親ともう1人の妹を交えてトランプで遊んでいたのだけれど、次第に会話の雲ゆきが怪しくなり妹が「仕事をしたくない」と言って泣き出した。

その話を聞いたとき、仕事は辛いけど続けられてる自分は偉いのだと肯定されたような 救われたような そんな気分になった。こんな感情気持ち悪いなと思う。

私は小学生の妹と顔を見合わせてから、席を離れて再びテレビゲームをして遊んだ。

その後は3人で川の字になって眠った。



朝6時に目が覚めた。もう眠れなさそうだったので本を開いたり猫を探しに行ったり金魚を眺めたりしていると、父親が車で家まで送ってくれると言ったので私はぎこちなく返事をして車に乗り込んだ。


父親がコーヒー飲まない?と言ってコンビニに車を止めた。

私たちはパンと熱いコーヒーを持って再び車に乗り込む。

父親は車内で「粉の砂糖は熱いコーヒー用、シロップは冷たいコーヒー用じゃない?」「なんか変な人いっぱいいるけどイベントでもあるのか?」といくつか私に質問をした。

父親は普段、話のきっかけを自分で作る人ではない。私は少し照れくさくなりながらも質問に答えた。

熱いコーヒーから漂う白い湯気と香りで満ちたこの空間が心地よかった。大きく深呼吸をした。


いつものように「ありがとう」と言って車の扉を閉めて、階段を登る。

昨日の夜、伸びすぎた前髪を切ったせいで視界が広くなったことを思い出して、なんか全部、大丈夫な気がした。